いやはや、
今日は35度超えのところもちらほら。
本格的な夏到来であります。
額の汗をぬぐいぬぐい、
虫さされにキンカンをぬりぬり(笑)、
そんな毎日が続きそう。
そしてのびのびになった、
1ヶ月遅れのライブレポートをお許しください。
・6/5(日)
新百合ケ丘ChitchatでYo Hardingちゃんと2マン。
Yoちゃんとはネパールで知り合い、
つい5月の後半も共演したばかり。
Yoちゃんはニューヨークと日本、あるいは世界を行ったり来たりの超絶シンガー。
ルーツがゴスペル、というので、
太くて強くて、でも優しい、大地のような歌声の持ち主。
そんなYoちゃんと早くも再共演!
というので嬉しさ爆発。
やはりChitchatは出会いの宝庫である。
ライブ直後に陸前高田へ行く、というYoちゃん事情により、
順番はYoちゃん、わたしという流れ。
Yoちゃんバンドの魅力を堪能してとろんとろんになった後にあたくしでありました。
ライブ中にスコールがし始めて、後ろでサーっと雨のおとがした。
それがとっても気持ちよく、
雨とセッションしながらのライブでした。
・6/7(火)
夜中にELDNACSの皆さんと東京を出発して一路大阪へ。
100万人のキャンドルナイト@OSAKA CITY前夜祭へ参加のため。
運転を務める方へ背後からガンバレーとエールを送りながらありえない格好で撃沈。
お恥ずかしや…笑。
休憩をはさみつつ、10時近くに大阪は西梅田公園着。
先に会場入りしていた方々と合流し、
会場設営を見学。
ぶらぶらしたり。
AFNICAのkeiちゃんと再会して、バックメンバーで来ていたダチャンポのエイジさんとバグダットの番長さんとはじめまして(?いや、わたしは一方的に知っておりましたわよウフフ!)で嬉しくなったり。
そしてわたしはだいたい19時ぐらいから歌ったんだよなあ。
JUNEさんのトークがはじまって、紹介頂いて。
平日の早い時間だったけど、
お客さんがたくさんいらっしゃって、
じっと聴いてくれて嬉しかったなあ。
そしてkeiちゃん、熱いメッセージ、とても胸につきささった。
力強い歌声。大好きだ。
最後はLeyonaさん。
多くを語ることなく、その歌声ですべてを表現できてしまう様は、
本当に素晴らしい。尊敬。
かっこよかったなあああ。
ずっと昔から知っている、
100万人のキャンドルナイトというイベント。
いつか関わりたいと思っていたのが、こうやって実現し、本当に嬉しかった。
高層ビル、高速道路の高架下で灯る無数のキャンドルの光。
たまらなく美しかった。
肌にあたるなまぬるい風も、
清々しく感じられた。
JUNEさん、ELDNACSの皆さん、100万人のキャンドルナイト@OSAKACITYの皆さん、
本当にありがとうございました!
・6/8(水)
大阪で一泊させてもらった後、東京へ。
いったん家に帰り即座に吉祥寺BAOBABへ。
この日はわたしのピアノの師匠、copasalvoの鍵盤弾き、erikonishiさんと共演。
前々からいつかやりたいねーBAOBABで!
なんて勝手にBAOBAB名指しで(笑)計画していたところに、
奇跡のBAOBAB店主陽介さんからのメール!
タイミングばっちし、即座に師弟共演じつげん!といういきさつだった。
まさにあのタイミングは神がかっていたと思う。
ライブ構成は、
1部、わたしの後にえりさん、
2部、わたしの後にえりさん、
という前代未聞の2部構成。
そのなかにピアニカデュオ、えりさん伴奏であたし歌、といったプログラムも入れ込む。
あとあと聴いたピアニカデュオのライブテイクが、すごーくよい感じで、
次にえりさんに会ったときに「あれあのまんまで7インチきれるんちゃう?!」
と言われたのが最高に嬉しく、
全体的にとても可能性に秘めた1日でありました。
これからどんどん、おもしろいことになりそう!
また師匠と企みたいと思いますので、
1回目逃した方は、2回目来てね!
BAOBABのみんな、来てくれたみんな、
ありがとー!
楽しかったね!
・6/11(土)
早朝どしゃぶりの中東京出発。
福島いわき、四倉というところの道の駅で開催された
「灯そうふくしまに光を」というイベントに参加。
ちょうどこの日は震災から丸三ヶ月。
丸三ヶ月という節目に、被災地へはじめて行く事となった。
はじめて見る津波の爪痕。
そして道ひとつ隔てた先にあるのは、普通の日常。
車も普通に走っているし、田んぼは青青としている。
コンビニもお店も営業している。
そのパッキリと別れた具合が、ひどく不思議な感じがして、
夢と現実のはざまに居るような気になった。
イベントでは、
各方面からの炊き出しチーム、
様々なメーカー、ブランド、または団体からの支援物資などがあった。
足手まといさを存分に発揮しつつ、
私も物資を配るのをお手伝い。
地元の方々と様々な話をする。
各方面からの物資を仕分けしている、という地元のおっちゃんと長いことしゃべった。
支援物資の中に真っ赤なティーバックがあり、
仕分けするのに困ったと。
仕方がないので若い子たちに冗談まじりで、
これ〜おめえ、はいてみたらどうだあ〜と言っては笑ったと。
そうでもして笑っとかないと、
やってられんからなあ。
そう言ったおっちゃんの言葉のなかに、テレビでは知り得ないリアルがあった。
午後、14:46に黙祷をささげる。
献花台は花束でいっぱいだった。
夜の帳が降りて、
砂浜にキャンドルのドームが姿を現す。
JUNEさんの提案で、
ドーム前で歌わせて頂くことになった。
マイクなし、キーボードも内蔵スピーカーから鳴らす。
予想のつかない環境で、はじめドキドキしたが、
長靴を脱いで靴下を脱いだ瞬間から気持ちがすっと落ち着いた。
以前一面の芝生だったというそのスペースは、
津波によって大量の砂をかぶってしまっていた。
その砂の上に立つ、想いを乗せたキャンドルたち。
そしてわたしの楽器。
裸足で歌いたかったから裸足になった。
原発に近い場所だとも知っていたが。
なんだかそうすることで、
この土地に挨拶ができるような、
そんな気になったから。
歌い終わった瞬間に、
お客さんたちが「ありがとう」
と言ってくれた。
それがとってもとっても嬉しかった。
もう1曲だけ、というので、
最後にDragonAshのATSUSHIさんとコラボレーションした。
わたしの「ジョバンニ」という曲に合わせて、
踊って頂いたのだった。
お月様とキャンドルの光に照らされたATSUSHIさんの舞は、
ただただ美しかった。
帰り際、地元の女性の方が、
「裸足で歌ってくれてありがとう」
と言ってくれた。
「たくさん人も集まって、浜も喜んでいるだろうよ。
また必ず、賑やかな海を取り戻すからね。
また来てね。」
と言ってくれたのが本当に本当に嬉しくて。
何か返事を言いたいのに、
涙をこらえるのが精一杯だった。
被災地に行く前は、
ただただ自分の無力さ、ちっぽけさに辟易していたけれど、
いざ行ってみて、
やるべき事はとてもシンプルだと言う事と、
自分に悲観しなくてもよい、という事
身の丈にあった行動が、絶対にあるという事
というのを学んだ。
これは次に行った仙台でのボランティアでも身にしみて感じたことで、
広げて行くべきことだと思った。
なんだかそんな感じで6月前半は開化し、
後半へとつながっていったと思う。
後半へ続く…