東京に戻ってきて6日ほど経過。
ツアー前ということもあり、バタバタした毎日を過ごしてます。
いろんな人に連絡頂いたり、
声かけてもらったり。
ほんとうに心配かけました。
時間というものは恐ろしいもので、
忙しい毎日に放り出されると、
悲しさというものから一時的に解放されてしまいます。
それはある意味救いではあるけれど、
とてもさみしいことだと思います。
じいちゃんの事を忘れてしまいたくないので、
少し長めの日記を書くことにしました。
時間の許す限り、おつきあいくださいね。
7/27火曜日。
午前中母から連絡がある。
じっちゃの容態急変との事。
じっちゃ。
生まれたときからずっと一緒に暮らしていた。
いつも元気だったのに、7月の半ばくらいから肺炎で入院していて。
でも、経過は良好。
すぐにでも退院できるってきいてたのに、
今回の連絡。
最終の新幹線で秋田に帰ると母に告げ、電話を切ったあと、
なんだか胸騒ぎがしてくる。
胸騒ぎはどんどん大きくなってきて、
職場でも泣いてしまう始末だったので、
仕事を早退させてもらう。
急いで家に戻って東京駅へ行き新幹線に飛び乗る。
小田急線、中央線、そして秋田新幹線と、
ずっと胸騒ぎがする上に涙が止まらなかった。
夕方秋田に着いて、じっちゃの入院している病院へそのまま向かう。
病室に着いてびっくりした。
とても痩せて、
カッと見開いた目で天井をみつめ、
酸素マスクをはめて苦しそうに息をするじっちゃが居た。
あまりに苦しそうで、
見ていられなくて、
涙があとからあとから吹き出してしまう。
こんなときに泣いたらだめだ、
じっちゃを励まさないといけないじゃないかと思う反面、涙が止まらない。
そんな私にじっちゃは
「よく来たな」
といつもと変わらないことを言ってくれた。
言葉を発するのも苦しいはずなのに。
わたしたち家族の他にも、親戚一同が来ていて、
次々と「がんばれよ」と声をかけていた。
来客が一段落したところで、一旦家に帰ろうということになる。
父を病室に残して、ごはんを食べてから父と交代しよう。と
病院を後にする。
そして
買い物をすませ、
家に帰りご飯を食べ終わろうとしていたころだった。
「いますぐ病院に」と父から連絡が入る。
すぐさま病院へ戻り、
病院の玄関でおばさんと合流して、じっちゃの病室へ。
時既に遅し。
そこには静かになったじっちゃと
うなだれる父の姿があった。
「さっき急に静かになってな」と話す父。
じっちゃには、もう魂がないんだとはっきり悟った。
なんで、もうちょっと待っていてくれなかったのかと
泣き崩れる母とおばさん。
たくさん人が会いに来たから、
ひととおり挨拶したなーっ、よし、て
思ったのかもよ。
そんなことを話し、なぐさめあった。
7/28水曜日
一晩かけて、じっちゃの死因がはっきりする。
じっちゃはリウマチを患っていて、
少し前からどうも強い薬を飲んでいたらしい。
リウマチという病気は、免疫が強すぎて関節に突起物ができる病気なんだとか。
だから関節をまげると痛い。
そのため免疫を下げる薬を飲んで、
結果体中の悪いものが出てきた。
肺炎もそのひとつ。
その他にも帯状発疹だとか、大腸に出来物だとか
あと腎臓にも異変があって
レントゲンを見たら体中に水がたまっていたりしていて。
一通り説明をきいて、
想像を絶する苦しさだったんじゃないかと思った。
霊安室からじっちゃの棺を葬儀屋さんの車にのせる。
車を見送るときに、
泣いてくれた看護婦さんが居た。
じっちゃとの付き合い、短いはずだし、
毎日病院で勤務されてるから、こういった光景は珍しくないだろう。
それでも見ず知らずの私たちのじっちゃに
流してくれた涙。忘れません。
ありがとう。
午後ばっちゃが家に来る。
ばっちゃはじっちゃの嫁ね。
1年ほど前に病気して、それからしゃべることもままならないようになってしまった。
「ばっちゃ、明日香だよ」と言っても、
もうニコッと笑うぐらいのばっちゃ。
今は老人ホームで暮らしている。
15分ぐらいだったら家に戻っても大丈夫ですよ、と施設の方から了解を頂き、
じっちゃに会いに戻ってきた。
とても仲がよい2人だったので、
じっちゃも入院する前は毎日ばっちゃのところに行っていた。
そんなばっちゃにじっちゃの顔を見せるが、
チラッと見たあと、プイと顔を背けてしまった。
そしてばっちゃの目から、つつ、と涙がこぼれ落ちる。
わかっているのかなあ、
と言いながら、その場に居た全員
涙せずにはいられなかった。
夜、親戚一同でお寿司とビール。
思い出話で笑ったりする。
こういうとき「人が集まる」ってとても大事なことなんだなと思った。
それだけで助けられる。
この日はじっちゃの横で、
父母、孫3兄弟で川の字になり寝た。
7/29木曜日
お葬式が翌日の7/30に決まり、
この日は早朝から来客が絶えない。
途中お葬式の打ち合わせなども入り、
ばたばた大忙し。
わたしも母や親戚のおばさんたちにアレコレ教わりながら奔走。
夜、おばさんと弟の作った料理に舌鼓を打つ。
ごはんってすごいね。
元気がだんだん出てくるんだもの。
7/30金曜日
お葬式。
午前中は火葬。
棺が釜に入ってく瞬間、悲しかった。
おじさんに「悲しいな」と言われて
やっぱり涙が出てしまう。
火葬中、なんども水をくみ直す。
このへんの地方は「熱くてのどがたくさん乾くから、火葬中は水を何度もあげる」という習わしがあるのだ。
火葬が終わり、骨だけになったじっちゃと対面し、
お骨を拾ってツボに入れる。
その後、そのまま葬式会場へ。
お坊さんのお経が終わり、
弔辞や弔電、
そして孫代表で弟が挨拶。
すごく立派な挨拶でびっくりした。
ハナタレ小僧だと思っていた弟が、いつのまにか立派な頼れる男に成長したもんだ。
しみじみ思う傍ら、
やっぱり泣いていた。
一番泣きづくしのしっかりしない姉。。
たよりなくてごめん。
法要が終わって、会食。
いろんな親戚や、じっちゃの同僚さんたちと話す。
じっちゃがどんな人生だったのか、
少しも知らなかったな。と痛感する。
じっちゃのエピソードをたくさんの人から聞いた。
さらに、私の活動を応援してくれてる方がたくさん居て
ありがたかった。
家にもどっておじさん一家と私たち家族でゆっくり話をした。
じっちゃはとても苦労した人だったんだなと。ここでもいろんな話をきく。
苦労しつつ、なんども訪れる逆境を乗り越えながら
わたしたち家族の基盤を築いてくれたことに、
心の底からありがとうと思った。
じっちゃが死んでしまったことで、
思ったことがたくさんあった。
人は死んでしまうということ。
大切な人が居なくなってしまうということ。
自分自身もいつかこの世から消え去る日が来るということ。
だから家族や仲間を大切にしなければいけないということ。
決して命を祖末にしたらいけないということ。
人は死んでしまったらそれまで、なんです。
「ありがとう」の交換は、お互いが生きているうちにしかできないことなんです。
今、近くに居過ぎて
「ありがとう」を言うにも照れくさかったり、めんどくさかったりする人がいるとしたら
「ありがとう」という気持ちが熱いうちに
口にしたほうがいいと思うよ。
私はもう天に向かってじっちゃに「ありがとう」というのみだけれど。
きっとこの気持ちはいつか曲にして、
いろんな人に届けようと。
それがわたしのできることなんじゃないかと。
そう思ったら、やっと次に進んで行けそうな気がしたんだ。
この夏、
明日から怒濤の旅が始まる。
じっちゃへの想いを胸に、
akane、勇気くんという最高の仲間と共に、
各地にいる最高のみんなに助けられながら
駆け抜けることとします。
ここまで読んでくれてありがとう!